究極のマニアック車両が登場するエリア。 歴史にその名を刻む至宝の車両をはじめ、はたらく車・逆輸入車・軍用車・カスタマイズ車・コンセプト車といった、珍車に名車、キワモノ、変態…が。今年2018年の旧車天国のテーマは、原「天」回帰。デビュー時の思い出や感動に満ちあふれた初代のクルマがマニアック天国に大集結! 今では数えるほどしか現存しない貴重な車両を間近に見られるチャンス!
幻のオールドカー「オートサンダル」。
日本で初めて軽自動車規格の四輪車を製造したメーカーであり、1952年からわずか2年ほど存在していた日本オートサンダル自動車製だ。
この個体は福岡県の旧車販売業者「セピアコレクション」が保有するもので、ほかの現存車は不明という、超希少車である。
(出展:セピアコレクション)
米国ミシガン州デトロイトの『オールズモーターワークス』(Olds Motor Works)が製造し1901年から販売した自動車。
ダッシュボードが美しいカーブを描いているところから『カーブドダッシュ』とよばれた。
自動車産業史上初のアッセンブリーライン利用による大量生産に成功した車であり、まさに、クルマの原点回帰とも呼ぶにふさわしい。
100年以上前の希少車両だ。
(出展:埼玉自動車大学校)
1963年8月に同社初の四輪自動車として発売された。
商用トラックでありながら製造コストを度外視した設計が行われ、スポーツカーでさえも採用例の少なかった高度なメカニズムを持つエンジンを搭載した異色の存在で、当時の軽自動車の水準を遥かに超える性能を備えていた。
2気筒・2サイクルのエンジンが組み合わされていることが多かった当時の軽トラックのなかで、T360にはライバルの倍近い出力を誇る4気筒ツインカムエンジンが搭載されていた。
当時の軽自動車で100km/hの大台に乗る車種として、その高性能から「スポーツトラック」と称された。
(出展:昭和の杜博物館)
スバルブランドを展開する富士重工業(現・SUBARU)で生産されていた、『レオーネ』ベースの輸出専用ピックアップトラック。1977年、A3型レオーネをベースに初代ブラットが北米で発売された。
輸出専用車種で、日本国内では未発売だったため、逆輸入されたものが少数存在する。荷台に据え付けられた、
後ろ向きのシートや丸目四灯が特徴的だ。
(オーナー:池添氏)
三菱自動車工業は1969年、「コルト1200/1500」の後継モデルとなる新型小型乗用車「コルトギャラン」を発売した。
翌年1970年には、アメリカのクライスラー社と合弁事業に関する契約がなされ、北米での販売がいち早く開始された。
コルトの生産で培った堅実な設計を踏襲しつつ、全く異なる斬新かつスタイリッシュなエクステリア・デザインを備え、販売面でも大きな成功を収めた。
(オーナー:池添氏)
2017年4月、日産京都自動車大学校でカスタムを学ぶ「カスタマイズ科」がスタート。
記念すべき第1号車のベースに選ばれたのが、こちらのKB10サニークーペ。
「古い車を新しく!」をコンセプトに、現代のスポーツカーに負けないコンパクトFRスポーツカーを作りたい!
そこで、初代サニークーペにS15シルビアのエンジン・足回りを移植し運転する楽しさや喜びを兼ね備えた車を作ろうという声があがった。
(出展:日産京都自動車大学校)
この初代サニークーペKB10型は、オーナーが2009年の夏にヤフオクの次点落札で手に入れた車両で仕事の合間で8年掛かりで修復し2017年2月に完成。
状態が悪く欠品もあり部品取り車を数台用意して取り組んだとのこと。
その修復で余った部品を交流のあった日産京都自動車大学校に何点か提供し、同校の「カスタマイズ科」の第1号車「初代サニーカスタム」が誕生した。
(オーナー:鎌田氏)
戦後と言われる時代の日本で著名な工業デザイナーにスバルの佐々木達三氏、マツダの小杉二郎氏、オリエントをデザインした柳宗理氏が挙げられる。
戦前に生活文化運動である民芸運動を河井寛次郎、浜田庄司らとともに提唱した柳宗悦は実父であり、その関連からデザインに関心のある人達からもファンが多いのが、オリエント3輪トラックである。
柳宗理氏は様々な物をデザインしたが、自動車はこれのみであり、なかでもオリエントのデザインの成り立ちは、本来の自動車とは無縁の環境で造形され、それゆえ進歩的な面もあった。
1956年に発売したTR系は、メーカーにより最高傑作と称されたが、'63年に製造した三井精機工業が3輪車の製造を止めたため、残存数はほとんどなく大変貴重である。
(オーナー:岡田氏)
1952年12月に軽三輪第1号を作ったのがホープ商会のホープスター。
1957年10月に登場した2眼ライトを持つSU型は曲面ガラスと電動ワイパーを持ち、とても安価で販売され、軽三輪の王者となった。
当時存在した軽自動車限定免許で300~500㎏の積載量と車検不要のホープスターの存在は大きかった。
1957年に大手メーカーダイハツから、より小さなダイハツミゼットが積載量300㎏で登場し、二輪並みの価格で販売されたため、販売網の弱さもありホープスターは徐々に生産が縮小された。
もちろん現存が奇跡的な展示車SU型はホープスター全盛期のデザイン。
(オーナー:岡田氏)
フライングフェザーを設計したカーデザイナーの富谷氏が富士自動車で日本初のFRPボディの軽三輪車フジキャビンを生み出した。
1950年代日本の自動車界で曲面を多様するデザインは技術的に非常に難しかった。
その中で当時の最新素材FRPを駆使し、この流麗な曲線の造形に成功した。
自動車ではなく、安価なマイクロコミューターを目指した。
当時の悪路にフジキャビンの小さなタイヤがマッチせず、全く売れなかったので、生き残った車両は少ない。
現存車は、1957年第4回全日本自動車ショウに展示された物と違い、1枚ドアを持つ大変貴重な初期型の車両。
この機会をお見逃しなく!
(オーナー:林氏)
創成期の軽自動車の二大巨頭であるフライングフェザーとフジキャビン。
両車ともに製作したのは、戦前に日産・ダットサンのデザイナー兼設計者であった富谷龍一氏である。
フライングフェザーは、1954年に住之江製作所で発表された。
戦前より国民車を構想し、富谷氏の「最も経済的なクルマを」とする思想が、1952年に大量輸入されたシトロエン2CVの設計思想の影響を大いに受けて花開いたモデルだ。
販売が成功すれば軽四輪のカブになるはずだったモデル。
日本自動車史に残る重要かつ貴重な車両である。
誕生の陰に240ZのMr.Kやプリンス自動車レース部隊監督青地康夫氏の存在などエピソードも豊富。
(オーナー:林氏)
今はなきポンプメーカー日本造機株式会社が1957年に製作したNM1型。現在確認されている同社製の三輪車はこれ1台というレア車だ。
旧車ファンの燃え上がるマニアック熱を鎮火するどころか、ますます火を付けるかも…!?
(出展:消防自動車博物館)
アメリカで払い下げられた車両を日本へ輸入、ニューヨーク市警仕様に仕立てられている。
「どこから見ても現地にいる本物のパトカーにする」をコンセプトにニューヨーク市警(NYPD)仕様の車両に仕上げた。
型番やパーツの吟味、パーツの輸入(特にライトバーなどの大型パーツやライトバー、プッシュバンパーなどの特注品)、車用デカールの発注において精神的にも金銭的にも前途多難の苦労の連続。
屋根に乗っているライトバー(パトランプ)は、「フェデラルシグナル製:SLRライトバー」も、NYPDのように赤白を交互にしたり、部分的に発光色を変えるように特注している。
内装に関してもタフブックやひじ置き、サイレンスイッチの位置などにも気を配り、さらには注意書きステッカーやニューヨークの車検証ステッカーを再現。
極めつけはタフブック内にデータを仕込み、実際にNYPDで使っている、パトロール支援システムまで忠実に再現している。
(オーナー:北岡氏)
「西部警察」は1979年10月~1984年10月にかけてテレビ朝日系列で放送された人気テレビドラマ(石原プロモーション製作)。
登場する日産車のカースタントに興奮した方も多いはず。オーナーももちろん西警ファンで、ついには430セドリックをレストア製作してしまうほど。
当時の映像をもとに、ディテールにとことんこだわった仕上がりだから、車両のナンバーや足まわりにも注目してほしい。プラモデルやミニカーで西部警察ごっこをしたあの日が今、眼前に甦る!?
(オーナー=門端氏)
一般にクラウンと言えば“ラグジュアリー”なイメージだが……旧車愛好家の行き着く先はなんと「タクシー仕様」。
「いつかはクラウン」のキャッチフレーズが用いられたS120型クラウン(7代目)のプロパン車にも最上級グレード「スーパーデラックス」が設定されたが、展示車は敢えての「スタンダード」。
(オーナー:岩本氏)
六輪車、水陸両用車の機関車をベースに、70年代のテレビ番組「走れ!ケー100」の小型SLのレプリカを製作。
水陸両用車MAXを改造して電動仕様にしている。見た目も可愛いので子供も大人も大喜びなのは必至!
(オーナー:尾田氏)
1959年10月〜1960年9月まで販売のモデルで、500NUOVA(1957年〜1959年)と500D(1960年〜)の両方の特徴を持つ珍しい車両。
ヘッドライトの下のウィンカーと反射板付きのテールランプはこのモデルが初めて採用されている。
全塗装を行った際に、必要な部品をヨーロッパから個人輸入にて手配。
初期型に近い車両なので、日本国内ではほとんど部品が無く非常に希少価値が高い。
2017年12月公開の映画『DESTINY鎌倉ものがたり』のオープニングにも出ているので要チェック!
(オーナー:金子氏)
イタリアの大衆車フィアット500の中期型であるFタイプ、当時のディーラー車であり右ハンドル仕様。
フロアー、サイドシル、フロントパネル、ガソリンタンク下のパネル、ドアほか、すべて地金を出して板金修理も行った経緯もあり、プラモデル感覚でメンテナンスも行っている。
生まれたときから身近にあったこのクルマのデザインの凝縮感と独特の匂いが好きで今現在もシングルナンバーで維持している。
乗る楽しさもあり、乗って楽しいカート感覚、遅すぎて街中でも常にファーステストラップを叩き出す走りを強いられ、スパスパ決まるシフトとトルクバンドを外したら止まってしまうスリリングなエンジンパワーもこのクルマに乗る楽しみだという。
(オーナー:畠山氏)
1955年に発売されたフィアット600セイチェントは、大衆車として20年に渡り生産された、戦前設計の500トポリーノに替わる車両だった。
そのためフィアットは瞬く間にバックオーダーを抱えることになり、納車を待つ人々に目を付けたのが北イタリアの地場産業であり、当時まだ多く存在していたカロッツェリア(イタリア語で自動車の車体をデザイン製造する業者)だった。
そのうちの1社のアントニオ・シオネリ氏が1943年に創業した「カロッツェリア シオネリ」が製造した「フィアット600シオネリ」は
特別な存在感はアバルトと似ているが美しさはシオネリに軍配が上がる。。
(オーナー:山嵜氏)
フィアット600発売の10ヶ月後の、1956年1月に「GT750クラス」のホモロゲーション取得のため、アバルトによって最初に100台の車両が生産された。
外観はノーマルのフィアット600と殆ど変わらず、蠍のエンブレムとクローム装飾部品によって識別できる程度だが、鍛造/研磨された特注のクランク、コンロッドや特製のインマニと独立ブランチのエキマニ、マルミッタアバルト、ラジエター大型化等、パワートレーンに関しては妥協なく徹底的に勝つためのモディファイがなされている。
1956年ミッレミリアでは、ZAGATOスペシャルアルミボディーをおさえてクラス優勝を果たしている。
のちに巨大なフロントラジエター、オバフェンで武装した1000TCRへと進化を遂げていくフィアット600ベースのアバルトの原点となった記念すべきモデルである。
(オーナー: 関氏)
天才ダンテジアコーサが中心となり第二次大戦後にゼロから設計。
それまで1936年から販売されていた初代500トポリーノの後継車種として1955年から販売された。
小型の水冷4気筒エンジンがリヤに搭載されており、広い室内空間が確保されている。それまでの排気量633ccから767ccに変更された。
フィアット600D後期型は、1965年にモデルチェンジされたもので、これまであったフロントのエンブレム回りの3本ヒゲから1本となり、サイドのラインも無くなり、ドアも前ヒンジから現在のスタイルに切り替えられ、洗練されたシンプルなデザインになった。
(オーナー:原田氏)
通称「トポリーノ(Topolino)」と呼ばれる現車はイタリアにてレストア済みのものを2013年1月に広島のワールドモーターズからオーナーが購入。
新規登録扱いだったので後部座席を作り、4名乗車で登録されている。
何度かエンジンやパワートレーンには手を入れつつ、Coppa de Tokyo には2度出場し完走しているくらい状態が良い。
普段は近所への買い物や子供の送迎にも使っている。
(オーナー:坂部氏)
モレッティ(MORETTI)と言うイタリアのカロッツェリアがフィアット500をベースに制作したクーペが登場。
500Dタイプをベースに制作された超希少なファーストシリーズ(製作数も少なく世界的にも数台しか現存せず)である。
日本にあるのはこの車両のみ。
(出展:スティルベーシック)
1950年から1960年代の当時のヨーロッパで、カラフルで個性的な小型車が人気を博していた中、ビアンキーナは1957年に発売され、「フィアット500」のコンポーネントをベースにセダンからカブリオレ、バンと幅広いラインナップを展開。
1969年製のシリーズ3の最終型500ccを650ccにボアアップしている。
ボディカラーは10数年前にイタリアから日本に来た時の色にならい、5年前に同じ色で再塗装している。
(オーナー:松本氏)
菅原文太主演の東映「トラック野郎」シリーズのために、1975年に製作された実物。
日本映画のシリーズ全10作のうち、2~10作で撮影に使われた本物の車両だ。
40年前の車両であり、映画の撮影後は個人の運送会社に引き取られて実際に使用されていたが、一旦は廃車となりその後レストアされた。
醸し出す独特のオーラに惹きつけられる。
「1番」のナンバーやオリジナルの電飾品に注目。今回、乗車席に搭乗して記念写真を撮ることも可能だ。
(出展:全国哥麿会)
トラック野郎全盛期を想起させる、見事な風格が出てるデコトラ。
昭和52年式の日野ZMをベースに長い年月をかけてアートアップされた、全国のトラッカーに知られている有名車。
荷台の前面に大きな長細いアンドンが有り、荷台を上に上げた時に見えるような仕組みになっている。
電球のマーカーは、現主流のLEDのランプと違い、発光に独特の美しさがある。
(出展:全国哥麿会)
アメリカ軍が戦車などの重量物を運搬する際に用いていたというM26ドラゴンワゴン。
1960年に長野県長野市の重量物運輸会社、白田(はくた)組に払い下げられ、装甲キャビンから自作キャビンに変更した状態で重量物運搬業務に使用されていた。
今回、昭和43年に使用を停止し、車庫に格納し50年経過した車両を斎藤運輸工業が再生を施し、実働状態に復元した。
(出展:斎藤運輸工業株式会社)
2トン積みトラック「キャンター」。
1973年~1978年まで生産された3代目キャンターはV字型のグリルが特徴。
(出展:三菱ふそうトラック・バス(株))
ベトナム戦争のさなかに製造されたカイザージープ M715(1968年式)。
人員・物資輸送に使われたピックアップタイプのミリタリービークル。
民生車、ジープ・ワゴニアのボディパネルを使うなどしている。
日本国内に複数台あるが、完全実動状態で残っているのはこの車両のみ。
(出展:オートジャンクション)
1939年当時、ドイツ軍の小型・軽量の偵察連絡用のキューベルワーゲンの活躍を目にしたアメリカ軍が開発した制式車両だ。
MBはMODEL Bの略。
カラーリングも特徴的でアメリカ海軍初の開発車両である。
頑丈で軽量な車体と信頼性の高い水冷の直列4気筒L-頭型のエンジンにより優れた路外走破性を発揮した。
(出展:ミリタリービークル協会)
バック・トゥ・ザ・フューチャーのタイムマシンのベースとなった車両で、車体に対して垂直に開くガルウィングドアはまるで宇宙船を思わせるデザイン。
メンテナンスフリーとして設計されたボディはステンレス製で無塗装でありながらも36年経った今でも錆びることがない。
(オーナー:近藤氏)
ロバート・ジャンケル率いる自動車”メーカー・パンサー・ウエストウインズ”の最初の生産者。
外観はジャガーSS100を模したデザインとなり、設計方針も可能な限り1930年代のビンテージ期を踏襲している。
エンジンは当初はジャガーXK用直6DOHC3781ccだったが、まもなく4235cc・190PSユニットに替わった。
オールアルミ製のボディは車重1トンを上回るものの、最高速度は205km/hに達した。
外観こそビンテージカーだが、ビンテージカー最大のウィークポイントであるブレーキ/タイヤは、70年代の技術でアレンジされており、走行性能は当時のスポーツカーに引けを取らないものだった。
(オーナー:近藤氏)
ハーレーダビッドソン「ツーリング FLHTCエレクトラグライドウルトラクラシック」をベースに貨物兼用4人乗りを可能にする三輪車風にカスタム。
この世界に1台限定の珍オートバイ自動三輪車には、戦後の自動三輪車の思い出が投影されている。
昔の空冷エンジンのサウンドも懐かしく、ウインカーもかつての「方向指示器」が取り付けられている。
荷台には電動ウインチで軽トレーラを積載できてしまう実用性もある。
(オーナー:高橋氏)
イタリアの自動車メーカーのフェラーリが1984年から1986年にかけて製造、販売したリアミッドシップエンジン・後輪駆動のスポーツカー。
スタイリッシュな高性能ミドシップカーのいわばパイオニア。
フェラーリ公式の名称は単に「GTO」だが、1960年代の「250GTO」と区別するため、「288GTO」と呼ばれる。
ミドシップに縦置きされた2.8リッターV8エンジンは2基のターボチャージャーを装着し、最高出力400馬力を発生。
鋼管チューブラー・フレームのシャシーは、当時最新のカーボンファイバーとケブラー製ボディ・パネルで覆われている。
(オーナー:瀬谷氏)
フェラーリ・365GT4・2+2、フェラーリ・400、フェラーリ・412はいずれも、イタリアのスポーツカーメーカー・フェラーリが生産した2+2座席グランツーリスモ。
ピニンファリーナの手により、365Gt4 2+2は、1967年に生まれた365GT・2+2の古典様式に則ったラインから脱却され、そしてその後継車だった1970年生まれのGTC/4より広い後席スペースを備えつつも、美しく、かつエレガントなモデルとなった。
(オーナー:片岡氏)
鋼管フレームが組まれ、エンジンはルノーアルピーヌA110の1600ccが積まれている。
軽量のFRP製のフロントボンネット&フェンダーで、車内はフルロールケージ。ダッシュボード等もワンオフで作られている。
ヒューランド5速ドッグリングミッションも搭載されている。
ありとあらゆるモディファイがなされた完璧な一台だ。
(オーナー:是枝氏)
ジョルジェント・ジウジアーロ氏がデザインしたコンセプトモデルを実際に市販したドリームカー。
アウディ・クワトロに搭載されていた直列5気筒エンジンをミッドシップに搭載した。
駆動方式は4WD。
外観上の最大の特徴は運転席と助手席が独立したダブルキャノピーで、乗員同士の会話は付属のヘッドフォンにて行われた。
生産台数は30台に満たず、車両販売価格も約1億円と高価だった。
(オーナー:曽和氏)
戦後欧州で湧いたマイクロカーバブルの最中、異彩を放っていたのがメッサーシュミットだ。
実用一点張りのマイクロカー群の中にあって、メッサーシュミット社は趣味性にこだわり、前面投影面積の少ない空力ボディやとても10馬力の200ccエンジンとは思えない加速性能など明らかにマイクロカーの水準を超えていた。
スポーツ車的性能にあふれたメッサーシュミットは、まさにマイクロ「スポーツ車」だった。
メッサーシュミットスーパー200は、マイクロカーという枠組みの中でもスポーツ性にこだわった同社が製作したレコードブレーカーであり、今回展示される車両はその精巧なレプリカである。
(オーナー:木下氏)
1985〜1990年にかけて、米ミシガン州で製造された飛行機型のモーターサイクル。
初期型の名称はライトスター。
形態は超ロングホイールベースのバイク。
操縦席を挟んでふたつの補助輪が備わるが、走行時はほぼ接地しない。
ステアリングも操縦桿型でコックピットからの眺めは飛行機そのもの。
ギヤシフトはバイク用を手動にしつつ後付けの電動バック装置を使用。
普通のバイクと大きく違うのは、アルト用のユニットを流用しクーラーを備えている点だ。
テールの「翼」がよりいっそうパルスの存在感を引き立てる。
(オーナー:相澤氏)
アメリカのオークションサイト「eBay」で探して購入した車両。
フロリダにあった同車両を船便でインド洋経由で2ヶ月かけて個人輸入した。
陸運局への登録も含めて、旧いオリジナルのフレームを使って、80年代のGM6600ccエンジンを載せたカスタムカー。
すべて自分でやり切ったのは「人と同じ車には乗りたくない」という心意気からだ。
超個性的な一台。
(オーナー:増井氏)